願いなどの強い気持ちは白にも黒にも変わる

 

こんな言葉を口にするのはとても抵抗があることだろう。呪術、呪いなんて暗く重い言葉だろうか。しかし、呪いといえば抵抗があるが読み方を変えて呪い(まじない)と読んだらどうだろう?印象が180度変わるのではないだろうか。

また、おまじないと表現すれば。小学生や中学生用におまじないの本など売っているが、おまじないと書かれている為手に取り購入するが、これが漢字で呪い(まじない)と書かれていたらどうだろうか。決して手にしないだろう。呪いと一言でいえば悪い印象しかもたれない。例えば誰かに危害を加えたり、苦しめたり等の印象が強いだろう。しかし読み方の通り、まじないとして載っている事柄は、誰かを思うことのきっかけを作る為の幸福になる為の方法だ。

そう、呪いといえば、悪い事のように思われがちだが、これは願いや、祈りの形である。そう、イメージとはかけ離れたものである。願い、祈りといえば悪い印象はなりを潜めるだろう。

では何故呪いを願いや祈りと置き換えるのかというと、全てにおいて事柄を左右するのは人の思いからだからだ。誰かを強く思うこと、叶えたいことがある時など強く願うその心は事象をも変える力を持つ。そして、願う事柄は悪い事ではない。「彼と両想いになりたい。」とか「この学校に受かりたい。」そんなことを願う心である。しかしここで上げたのはあくまで一般的な事柄で、これが負の感情に彩られ黒に染まった時、これこそ、願いでも祈りでもなく悪意ある呪いと化すだろう。強く願う事というのは思いのほか、周囲に影響を与える。それが強ければ強い程。その逆も。呪いといえば藁人形といえばわかるだろうか?

丑の刻参り。7日間丑の刻参りをし、藁人形に五寸釘をうつという方法。しかし、藁人形というだけで呪いのイメージが湧くが、藁人形を使う方法として縁結びもあるし学業成就もある。こう聞けば願いや祈りと言われたらなるほどねと思うが、まぁ一般的に知られている呪いの方法もある。丑の刻参りや、藁人形の首に藁を巻きつけるなどの悪意または狂気による方法が・・・。願いや祈りと表裏一体の呪い。感情の持ち方で黒にも、白にも転ぶもの。

どうせ強く思うならば人の不幸を望むよりも自分の幸せを望む方がいいだろう。人を呪えばいつかは自分に返ってくる。それならば自分の幸せを強く願って、その思いを周囲に伝えよう。例え口にしなくても強い思いというのは心から心へ届くものなのだから。

和歌山のルアー船なら牛若丸